

剣淵町は北海道第二の都市、旭川からさらに北へ約50キロ進んだ、名寄盆地の南端に位置します。
両側をなだらかな丘陵に囲まれていて、夏は30度と比較的暑く、冬は雪が多く寒さもマイナス30度と、年間の気温差が60度にもなる町です。
町名の由来は、湿地に育ちやすい「はんの木」が多く生えている川という意味のアイヌ語「ケネニ(はんの木)ペツ(川)」とされています。 今も、町の中央部には天塩川の支流剣淵川がゆったりと流れていますが、町内北部の犬牛別付近からは、シジミやハマグリの化石が発見され、かつてこの辺り一帯は湖だったことが推測されます。
明治32(1899)年、337戸の屯田兵が入植して剣淵の開拓は始まりました。
当時このあたりは昼でも暗い未墾の原生林で覆われ、開拓者たちは泥炭質・粘土質の土と向かい合い、改良を続ける闘いの日々を送ったことが、町の資料として残っています。
そうした先人の永い苦労のかいがあって、「湿地の町」と呼ばれた剣淵もやがて穏やかな農村地帯へと変貌し、発展していきました。現在では、平坦な剣淵川の流域に開かれた田と畑、そしてその背景に広がる緩やかな丘と山林の段丘地帯が、ヨーロッパの田舎とも似た風景を織り成して、訪れる人々の目を楽しませてくれます。


絵本の里を創ろう会 初代会長の高橋毅さん
剣淵でも道内の他の町と同様に過疎化が訪れて、かつては1万人近くいた人口も1970年代に入ると急激に減りはじめました(現在は約3800人)。 br> そのとき、町の衰退に危機感を募らせた商工会の若い人たちが、ある講演会をきっかけに、「この町が好きでここにずっといたい」と思える「絵本の町づくり」を目指すグループを作りました。それが、1988年に有志14名で活動を始めた「けんぶち絵本の里を創ろう会」でした(現在の会員は約200名余り)。
創ろう会には商工会のメンバーだけでなく、役場、町内会、農家、お坊さんなど町内のさまざまな「おじさんたち」が参加し、全員で「町の未来は、やがて町を支えていく子どもたちにどれだけ本当の豊かさを与えられるかで決まる」ことを活動の基本理念に決めました。
そんなおじさんたちのピュアな取り組み(飲み会?)に、見かねた主婦や若い人たちがやがて加わって、活動は盛り上がっていきました。
なかでも町内にある福祉施設「西原学園」の参加は、まちづくりにあらたな視座を与えてくれる特別な存在となりました。知的障害を持つ彼らとの交流が進むなかで、会員メンバーはそれぞれが「絵本の里は障害を持つ人たちにとっても暖かい里でなければ」と、自然に考えるようになっていったからです。

剣淵では、過去から未来へと子供たちに物語を伝えていく「絵本の里」と、生命と大地を繋いでいく農業、そして障害者を大切に地域の文化と経済に寄与する福祉、が重なり合う「心にゆとりと優しさのある」町づくりを進めています。
今では剣淵は「絵本の里」として全国的に有名となり、多くの人々が訪れるようになりました。“めだたないが花は独特で樹形の美しさは理想的”と言われる、町名の由来である「はんの木」と同じように、剣淵はここにしか咲かない独自の魅力が息づく町なのです。

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